「ねえ、おなかすいた」
「かあちゃん、寒いよおー」
　僕の声と震える妹の声が重なった。
「ほら、もっとお母さんのそばにおいで」
　ごそごそと妹が動いて、母さんの体にぴったりくっついた。
「ねえ、おなかすいた」
　僕は、また言った。
「もう少しの我慢だからね。明日になったら、きっとお父さんが帰ってきて、おいしいものをたくさん食べさせてくれるからね。それまで我慢できるよね」
　母さんは、昨日と同じことを言った。
　僕はもう分かっている。父さんは帰ってこないのではなく、帰りたくないんだということを。家を捨てて出ていったんだってことを、僕はようやく分かり始めていた。
　分かっていながら、言ってしまう。
「おなかすいたー」
　母さんの話を聞きたくて。
「明日になったら、お父さんが、甘酸っぱいリンゴいっぱい買ってくるからね。それから、市場に行って、とれたてのプリプリの身のつまった蟹をみんなにご馳走してくれるからね。そうして、真っ白いご飯の上に、オレンジ色の宝石のようなイクラをたっぷりのせて、ほぐほぐ言いながら食べるんだよ。ほおら、明日が楽しみだねえ」
　僕と妹は、ごくりと唾を飲み込んだ。
　いつものことだが、もうこれだけで満足だった。
　痩せ細った体なのに、想像力だけはたくましくなったと思う。