「僕が明日死んだらどうする？」
「そうねえ。肩の荷が下りてせいせいするかもね」
「まじめに考えろよ。雷に打たれたり、車に轢かれたり、あるいは電車の事故に遭ったりして、明日死ぬかもしれないんだぞ。決して可能性のないことじゃないんだ」
「ねえ、それより、今日の夕飯何がいい？」
　妻はいつもこうだ。僕の話の腰を折るんだ。僕が本当に明日死んだらどうするつもりなんだろう。なんなら死んでみようか・・・
　死んでやる・・・死んでやる・・・。
「死んでやる」
「あら、死ぬの？ じゃあ、今日の夕飯が最後の晩餐ね」
　妻の目には驚きの色なんて、これっぽっちもない。
「そうだ。今日で最後だ。せいぜい豪華な食事で、もてなしてくれ」
「何言ってんのよ。あなたの安月給で、豪華なものなんて用意できるわけないじゃない。そんなこと言うんだったら、もっと稼いできてからにしてよね」
　まったくその通りだ。反論もできない。少ない稼ぎで妻には苦労ばかりかけている。蓄えもないから、僕が死ぬのは妻にとって迷惑な・・・。
「明日死んだら、お前を困らせることになるんだろうなあ」
「そんなことないわよ。あなたより金持ちでハンサムな男を見つけるから、気にしないで死んでいいわよ」
　これにも納得だ。どうしてこんな不細工な僕に、と思うぐらいの優しくて気立てのいい妻だ。男の一人や二人ぐらい、すぐに見つけることだろう。
「さあ、できたわ。食べて」
　食卓には、いつのまにか妻の手料理が運ばれてきていた。
　なんだかんだ言っていても、妻は不甲斐ない僕のことを頼りにしているはずだ。毎日作ってくれるこの愛情こもった料理が、その何よりの証拠なのだ。
「明日死ぬのはやっぱり止すよ」
　僕はそう言って、スープを口に運ぶ。
「そうでしょ。あなたには無理なのよね。死ぬことなんて」
　いつもこんな調子で、僕は妻に優しくたしなめられる。それがまた、僕にとって心地よいことでもあるのだが。
「でもね」
「なんだい？」
「今日の夕食が、あなたにとって、最後の晩餐なのよ」
　妻が不敵に微笑みかける。
　どういうことだ、と尋ねようとしたが、口が思うように動かなかった。体がしびれてきて、感覚がなくなっているのに気づいた。
　手に持ったスプーンがテーブルの角に当たってから、床に落ちていった。頭に金属音が突き刺さった。
　遠のく意識のなかで、妻の声だけがこだまする。
「あなたは、いつも、死ぬ死ぬ言って、わたし、あなたのその前向きじゃない考え方がとっても嫌いなのよね。死ぬんだったら、早く死ねばいいんだわ。思っているだけで行動できない人なんて最低よ。だからね、わたし、あなたのお手伝いをしたつもりなのよ。悪く思わないでね」
　すべては、妻の言うとおりなのだ。
　僕は意識と無意識の淵で、最後の言葉を吐く。
「ありがとう……。お前は、どこまで……、やさしいんだ…………」