もうすっかり夏の太陽が照り付けている昼下がり。
　ワイシャツを着たサラリーマン風の男が、にぎやかな商店街を人をかき分けながら走ってくる。男は黒のアタッシュケースを小脇に抱え、額から首から汗を滴らせながら、バタバタと足音も大きく慌てふためいて走っている。ワイシャツの背中の部分は汗でびっしょりである。
　男は駅に向かっている。
　商店街は買い物客で賑わっている。男がお茶屋さんの前を走り抜けようとするところで、その店の中から出てきた初老の女性とぶつかってしまった。
「あら、まあ危ないわねえー」
　女性は上目遣いで男を見やる。
「はあ、すいません、すいません」
と、男はひたすら低姿勢に謝りながらも、そのまま走り続けていく。
　彼は、ハアハアと荒い息遣いで駅の切符売り場にたどり着くと、料金表を見上げながらポケットから財布を取り出す。その瞬間、ポケットに突っ込んでいた領収書やメモ帳などが財布とともに飛び出して、彼の足元に散乱する。
　落ちた紙片をかき集めているうちに、電車がホームに滑り込んでくるのが見える。
　男はあわてて切符を買い、目的の電車に飛び乗ろうとするが──。

　電車のドアは、男の目の前でピシャリと閉じてしまった。
　電車は走り去った。
　時刻表を見ると次の電車は10分後だった。
　男はイライラしながらホームで次の電車を待っていると、さっき商店街でぶつかった初老の女性が、のんびりと同じホームにやってきた。
　お互いの目があった。どちらも何も言わなかった。
　男の背中には、暑いのとは違う、また別の汗がじっとりと流れ出していた。