あれがすべての始まりだったなんて、その時は誰も判っていなかったんだと思う。僕もあいつも、そしておっさんも。
　あいつがやってきた時、僕は学校から帰ってきて、いつもの様にジムへ遊びに行っていたんだ。扉を開けるとそこにあいつが立っていた。のっそりと振り返ったあいつは、クラスでいつも一番前の僕の身長から見るとまるで雪男のようだった。
　僕は、新しくできた弁当屋の様子を報告するのも忘れて、おっさんを呼んだ。
　おっさんが奥から出てきたとき、そこにただならぬ雰囲気が漂ったのを僕は忘れもしない。月並みな言い方かもしれないけれど、空気が凍りついたような、そうまるで時間が止まったように空間が固まってしまったかのように感じたんだ。
　雪男は、じっとおっさんを見下ろして睨みつけているようだった。
　おっさんは、睨まれた蛙のように動かず、時折額の汗をぬぐいながら、慎重に話を進めているようだった。
　一触即発、まるでそんな言葉が似合いそうな場面を、僕はリングの上から固唾をのんで見守っていたんだ。

　すると、不思議なことが起こった。
　風が突然強くなってガラス窓をガタガタ鳴らしたと思うと、その風に雪がまざり、気がつくと外は吹雪になってしまった。天井に穴があいていたのもしれないが、どういうわけか雪男のいる所にだけ雪が吹き込んできて、見る間に雪男は雪に覆われてしまった。
　一方、おっさんのほうを見ると、全身から毛がぞわっと立ち伸びてきて、あっというまに体から顔から剛毛に包まれた。それはまさにヒグマだった。おっさんの驚くべき変貌はそれだけにとどまらなかった。ヒグマになったおっさんは、今度はだんだんと体が縮みんでいくと同時に、さっき生えたばかりの全身の毛がどんどんなくなっていき、逆につるつるになって緑色の皮膚が現れた。おっさんは蛙になってしまったのだ。
　そして、僕はというと、頭の毛が抜け落ちて、坊主になってしまった。唾がどういうわけか固くなり、喉に詰まって飲みにくかったけれど、無理やり飲みこんだ。
　辺りは霞に包まれたようになり、寒さで空気が凍りつき、とうとう時間が止まってしまった。
　そして、最後にはべりべりと音を立ててジムの壁が内側に倒れてきて、ものの見事にぺっちゃんこに、ジムはきれいに畳まれてしまったのだった。

（「独白」おわり）