わたしがいつも電車から見ている景色に、バワタボクシングジムという派手なピンク色の看板があります。
　電車からは一瞬のことですので、いったい中でどんなことが行われているかなんて知る由もなかったのですが、５年前のことです、そのボクシングジムの最寄駅に用事がありまして、この機会ですので訪ねてみようと思いました。
　電車の中からは分からなかったのですが、近くで見るとかなりこじんまりしたところでして、なるほどこれならピンク色にして派手にしておかなければ、人が集まってこないんじゃないかなと思うほどでした。
　わたしは思い切ってそのジムの扉をガラリと開けました。
　するとどうでしょう。部屋の中まで一面の、いや、全面ピンク色の壁に囲まれていたのです。
　さすがにわたしは一歩たじろぎましたが、それでも今度は設備の方にも目を凝らしました。
　こじんまりした中には年代もののリングがひとつ真ん中にあって、その周りにサンドバッグやらバーベルやらがところ狭しと置いてありました。一応、ボクシングの練習をしている場所であることがわかりました。看板に偽りはなかったということです。
　ただ、わたしが行った時間が悪かったのか、それとも、いつもこんな調子なのか、ジムには誰もいませんでした。
　わたしは一通り室内を眺め回したあと、部屋の中の様子はだいたいわかりましたので、これで帰ろうと思いました。
　ところが、わたしが帰ろうとすると突然扉が開いて、小学校高学年らしき少年が駆け込んできたのです。
　わたしと一瞬目が合いました。
　でも、すぐに少年は部屋の奥の更衣室か休憩するところか、そのような部屋に向かって、
「おっちゃん、いるか」
と叫びました。
「おう、なんだ」
とすぐに返事が返ってきました。
　誰もいないと思っていたら、奥に人がいたんです。
「おっちゃん、お客さんが来てるぞ」
と少年は奥に向かって叫びます。
　わたしは早く帰れば良かったなとこの時思いました。ちょっと見学するつもりでしたのに、これでは勝手に入ってきて物色している怪しい人に思われてしまいそうです。
　ただ、おっちゃん、と呼ばれた人に少し興味がわきました。
　このピンク色の派手なボクシングジムを運営しているのは、たぶんそのおっちゃんでしょう。いったいどんな方なのか知りたくなったのです。
　すぐにそのおっちゃんが出てきました。
　わたしはこの瞬間のことを、きっと一生忘れないでしょう。
　ヒグマとツキノワグマの区別のつかないわたしですが、のっそりと現われたおっちゃんはまるでヒグマのような体と威圧感を与えていました。わたしは死んだ振りをしようかと一瞬考えたほどです。
　そして、顔じゅう毛だらけというほどのヒゲをたくわえていて、それでいて、その圧倒的な見かけとは裏腹にとてもやさしい目をしていたのです。